ウルトラブラック
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ウルトラブラック




表題にウルトラブラックと記したのには理由があります。

日本人の働き方は世界でも類を見ないほど、時間もエネルギーも
犠牲的に注ぎ込み、いわゆるブラック企業の存在を許す結果を生んでいます。
ブラックとして成り立っていくだけのエネルギーの供給源があるということです。

この共依存のループに光があたりました。

このループは生命エネルギーを吸い取ってしまうほど強力で、
徹底して、自己愛から程遠い状態を生みだしたということでウルトラブラックです。

日本人の真のDNAはこうして深く深く埋もれています。

とてもタイムリーにわかりやすく記された記事を抜粋させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ミカエルブレイズさん記事より~


すでに今回の京都ワークも10日目を迎え、本日の鉱物術教室3で

すべてのワークが終了します。

気がつけば壬生エリアに滞在して

すでに10日も過ぎていることに唖然としてしまいます。


ここで「六角獄舎」で斬首された

幕末の攘夷派活動家30余名を筆頭とする

無数の獄舎で絶命したひとびとの残存想念とつながり、

さらに彼らのオーバーソウルと対話したことで

歴史の霊的堆積層とつながるときの心構えとして、

憎しみ、怒り、哀しみといった

地を這うような重い想念だけにつながるのではなく

重苦しい残存想念を残すほどの過酷な感情体験を霊的学びとして理解し、

その体験から現在の人類意識へサポートしつづけている

彼らのハイアーセルフ意識の振動とつながることで

私のような「役割」をライフパーパスとするひとは

より明晰で与えることの愛を基盤とする、

これからの地球意識の方向性を

具体的な情報として発信することが可能なことにに気がつきました。




わかりやすく言えば、

ネガティブな体験をしたひとの霊的情報ほど

じつは示唆に富み、わたしたちの世の中をより良き方向へ

ガイドしてくれるわけです。




したがってダークサイドばかりの情報に振り回されることなく

怖れを超えて、過酷な体験をした人々の霊的情報にアクセスするための

意識、精神のたくましさを磨く必要がある、ということ。




そして、新撰組の面々の想念体においてもその「つながりかた」は同様で、

彼らの低い感情的な残存想念ばかりにフォーカスするのではなく、

彼らのオーバーソウルの振動とつながることで

新撰組として幕末という時代の混沌体験したさまざまな気付きを

私自身の言葉に変換して伝えることができるのではないか、

思ったのです。




同時に幕末の状況といまの日本の現況は

とても近いところがあるとも感じたのです。


そこでここ数日、滞在場所からほどちかい

壬生寺、あるいは壬生駐屯所があった

エリアに意識を繋いでいます。


そこでまず感じたのは

基本的に新撰組の発しているエネルギーは

とても真面目な、純粋な意思なのです。



荒々しい猛者たちのダイナミックな振動とはかなり距離感のある

繊細で傷つきやすい純粋さと

純朴であるがゆえに

犠牲になる意識のポジションにはまり、

自己陶酔的になっている感情を強く受け取るのです。


そんな新撰組のメンバーは当然、京の都の出身者はひとりもおらず

すべて関東、あるいは東北地方の出身なのです。


調べてみると以下のような出自を持つ人びとであることがわかりました。


芹沢 鴨(1827~1863) 水戸藩浪士

近藤 勇(1834~1868)武蔵国多摩郡出身

土方 歳三(1835~1869)武蔵国多摩郡出身

沖田 総司(1842~1868)陸奥白河藩出身

平山 五郎(1829~1863)水戸藩出身

新見 錦(1836~1863)水戸藩出身

平間 重助(1824~1874)水戸藩出身

野口 健司(1843~1864)水戸藩出身

山南 敬助(1833~1865)陸奥国仙台藩出身

永倉 新八(1839~1915)松前藩出身

原田 左之助(1840~1868)伊予松山藩出身

藤堂 平助(1844~1867)武蔵国江戸出身

井上 源三郎(1829~1868)武州日野宿出身




そもそも新撰組のルーツは

武州多摩に置いて幕末に栄えた「天然理心流」という剣術の道場で、

腕を磨いたそ宮川勝太という少年から始まったのです。

宮川少年は剣術の筋の良さを見込まれて道場主・近藤周助の養子となり、

のちに名を勇(いさみ)と改めたのです。


彼こそ新撰組のリーダーである近藤勇です。

その後、新撰組の中心的メンバーとなる

土方歳三、沖田総司ら新撰組の名だたる志士は近藤勇の弟弟子たちだったのです。


つまり、新撰組は源平の時代から、

あらぶる坂東武者を数多く輩出した武州多摩にルーツを持つ

根っからの侍たちがつくりあげた、

いわば「坂東武者」たちの純粋性を体現した組織だったとも言えるのです。

さらに俯瞰して観察するならば、

幕末に徳川が滅んでいく時代の中心で、

最後まで幕府の政治体制を支えつづけたのは、武家社会のエリート官僚ではなく、

武州三多摩をはじめとした田舎の百姓をルーツとする野武士であり

あるいは陸奥白河藩、陸奥国仙台藩出身、水戸藩といった

東国の、蝦夷や出雲族系の血にルーツを持つ

藩の侍たちが中心だったというところが

とても興味深いのです。

前の記事で新選組を「知的なエリート官僚」と書きましたが

それは私のまったくの勘違いだったわけです。




そこで私がさらに踏み込んで、受け取ったのは、

彼らの血のカルマと霊的カルマがキメラ化した集団が

新撰組だったのではないか、というインスピレーションです。


つまり、京の朝廷を中心にその下に江戸幕府があり、

さらにその下層に

たくさんの地方の豪族の血を受け継ぐ藩が連なるピラミッド構造を成立させていた

当時の日本では、つねに中央の大陸、あるいは半島の文明からの

渡来系民族による中央政府から疎外されていたのが

地方の藩に仕える武士たちであり、

中でも関東から東北にかけての下級武士は

全く中央政府が生み出す完全な支配体制に対して

つねに違和感を感じていたのではないか、ということ。

その違和感は、自らの出自に対する大きなコンプレックスとなり

そのコンプレックスを自尊心に反転させるためには

中央の権力に対して、自らの存在のすべてを捧げるほどの

自虐的とも言える「忠誠心」が必要だったのではないか、


ということに気がついたのです。

親子関係においても、両親に

じゅうぶん自己存在を評価されたと感じられなかった子ども

著しい「自己評価の低さ」を内面の奥底に刻むことになり、

その「自己評価の低さ」ゆえに親をはじめ、

その後の自らの管理者や師に対して

過剰な奉仕、過剰な自己ぎせいに傾向が顕著に見られるのです。

つまり自己存在のすべてを犠牲にしなければ、

「愛されない」と信じているほど自己評価が低い人たちが

日本の下層階級にはたくさん存在していた。



その理由は、中央の権力者層が、まったく土着の日本人に対して

「尊敬」も「敬愛」も、そして「評価」もしていなかったからなのです。



つまり、先進的文明を背景にした人々はつねに、

「遅れている」と言われている民族や先住民たちを

「劣った血統を持つ種族」として軽蔑し、差別することで

彼らを完全に依存させたのです。

それは結果的に植民地化された

未開社会の民族、先住民たちに対して

決定的な「自己愛の欠乏状態」に生み出してしまうのです。

それが世界中で憎しみと奪い合いの連鎖を

生み出しつけてきた大元であり、

差別する側は、もともと同じパターンで

差別されていた側だったということになるわけです。

これこそが怒りと憎しみの連鎖の根源なのです。



私がそういった怒りと悲しみに

支配された残存想念とつながることで感じた

新撰組の過激さ、極端な自己犠牲の現れ方は

彼らの出自を調べることで、明確な理由を知ることになったのです。


このような流れを通して、新撰組が伝えてくる

「自己愛の欠乏」が生み出す「極端な自己犠牲」の信念パターンへの

気づきを通して、わたしは最終的に何を理解し、

何をこの文脈を通して伝えたいのか…。

それはこの国がいままでの「捏造された歴史」の呪縛から解き放たれるための

意識の変容のプログラムにつながるのだということ。

多くの日本人の魂と意識がずっと縛られてきた

「自己犠牲」のシステムを打ち破るためには、

何より新撰組の志士たちがずっととらわれてきた

意識の奥底の闇に気づかなければならない、ということなのです。


           つづく



☆、。・★


昨日の対話で伝えた

“犠牲的行為の根底には、「求める意思」が潜在的に溢れています。

ゆえにいくら犠牲的に振る舞っても、

「与える意思」がそのひとの意識のなかに

生まれない限りは、永遠に満たされることはないのです。

ゆえにいままでのあなたがたの現実は、

つねに期待を裏切られつづける世界が

たくさんのひとの意識のなかに反復されつづけてきたのです。”について、

さらにつづけていきます。


このメッセージには

いまのあなたがたの意識の方向性を変えるための

具体的な意識の切り替えかたが示されていますね。


あなたが誰かを愛するとき、

何かの存在を敬愛するとき、

その愛する対象となる人物から

より深い愛を受け取りたいがために

意図的に犠牲的、献身的になるのなら

あなたはかならず、そしてすぐに、

その人物から

満たされない思い、期待を裏切られた思いを味合わさることになります。

結果、相手を少なからず憎み、怒りをぶつけることになります。

負の愛情のパターン、つまり奪い合いのドラマが始まります。

そして、きっとあなたはまた同じ感情のドラマを

別の相手、別の存在に変えて

「今度こそは」と信じ、期待し、

ふたたび、憎しみと悲しみと怒りだけを受け取るのです。

「こんなに愛したのに、あんなに尽くしたのに」

「あれほど自分の生命エネルギーを与えたのに」という

黒く沈んだ色彩を帯びた思いが

あなたの美しいグリーンの光を放射していたハートを支配してしまうのです。


その瞬間、あなたは「ほんとうの自分の人生」を

完全に失ってしまうのです。



そして周囲の期待、周囲の評価、周囲の価値によって

自分の価値、自分の存在理由を測るだけの

「他人軸による人生のドラマパターン」に

完全に取り込まれてしまうのです。



あなたが「ほんとうの自分」とのつながりを失ってしまう、

ということは、他者のエネルギー、他者の存在の言動が

そのまま「自分自身の価値」を感じるためのものになってしまうということ。

そういった状態に陥ってしまうと

あなたはこの地球での人生をまったく楽しめなくなってしまうのです。



そして、何回もの転生を繰り返し、

過去に体験した他者との感情ドラマで刻印された

憎しみと悲しみと怒りのパターンを

別の時代、別の配役で追体験しながら

少しずつ、癒し、気付くことで

「他人軸による人生のドラマパターン」から

「ほんとうの自分」の軸を体験し、

「自分軸による人生のドラマパターン」を取り戻していくのです。



もし、あなたがいま、

じぶんの意識の奥底に刻印されている

犠牲的な体験、期待を裏切られた、信頼を反故された体験を

物理的な時空間で追体験しているのならば、

それは過去に体験した他者との感情ドラマで刻印された

憎しみと悲しみと怒りのパターンを完全にリリースし、

「自分軸による人生のドラマパターン」取り戻するための

癒しと気付きのプロセスを体験している、ということなのです。


そのことに気づいてください。

気付くだけで、あなたのその刻印された犠牲と裏切られた体験による

「ほんとうの自分」を見失ってしまった重苦しい制限は

完全に外すことができるようになるでしょう。



















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